「前回、赤点は取れなかったけれどね……」
「いや取れなくてもいいんじゃないかなぁ」
つい思わず、溜息をひとつ落とした。
前哨戦 3
――そして、新しい生活のテンポも掴みかけてきた初夏。
今時分、窓の外は青々しい程に夏の空になり始めていて、それはもう心も爽やかになりそうなものなのに。
待ちに待った中間テスト一週間前、あ、いや、間違えた。テストなんか待ってない。むしろ御免こうむる行事のおかげで、私の心は梅雨模様〜、と節をつける余裕を装ってみる。
装ってはみたけれども、現実というのはさっぱり変わらない訳で、逃避は失敗に終わった。
「学期始めのテストで、散々痛い目をみたから、勉強しなきゃなのはわかってるんだけど……」
往生際悪く足掻いてるわたしの隣で、黒髪の子がげんなりとした感じの声音のまま、この場に居る人間の内心を代弁した呟きをする。
何せ、この王華高等学校のテストは難しいのだ。勉強をふたつきばかりサボタージュしたツケが、学期始めのテストで返ってきたのは言うまでもない。
ともあれ、帰りのホームルームが終わって、いざ青春の放課後へ!というテンションに切り替えられずにいるのが、目の前にいるふたりと、そしてわたしだった。
ひとりは先程の黒髪の子、時乃クロちゃん。艶やかなセミショートの黒髪をさらり、と揺らしながら、可愛い顔で可愛くげんなりしている。
ひとりは赤髪ヤンキー、もとい、狼紅。後頭部を無防備にさらして、ぐってりと机につっぷしている。
最後、わたしこと佐伯桐枝。状況は散々述べたので、以下割愛。
前述のふたりとは、まだ割と最初の頃にあった席替えでたまたま席が近くなって、それからの縁。
そこの赤髪ヤンキーとはさっぱり気が合わないけれども、この気立ての良くて可愛いクロちゃんとは友達になれたかな、と思ってる。実質的には、高校初めての友達なんじゃなかろーか。
そんな感傷はともかく――と片付けてしまう程度には消耗している――青と白のかっきりとした、コントラスト著しい窓の外を見ていた視線をクロちゃんに戻して、またひとつ、溜息。
あの窓の外は、あんなに鮮やかで、輝いているというのに――目の前の、四角くて灰色をした現実と、なんて落差のある事だろう!
だもんだから、3つめの溜息が出るのも不可抗力というヤツだと思うのよね。あぁ、幸せが逃げていくわ。
「一応、部活の合間合間にテスト勉強はしてたけれどね〜……なっかなか頭入んないわ」
ぼそり、と呟いた言葉に、クロちゃんは、あれ、と首を傾ける。
「テスト一週間前って今日からだよね?」
「あ〜……わたし、物覚え悪いから、早めに勉強するようにしてるのよ。ひとりじゃ不安だから、兄さんに教えて貰って、なんだけど」
きらり。なんだろう、クロちゃんの目が、大きく輝いた、ような気がした。
「兄さん、ていうと、つまり雁也くんが?」
「そだよ〜」
と、そこで。
がたん!と大きな音を立てて、クロちゃんが立ち上がった。
「それだ!」
「へ」
「それだよ、それ!」
展開があまりにも唐突で、理解がおっつかない。唯一わかるのは、クロちゃんがいきなり晴れやかな――そう、まるで何かいいことを思いついたときのような――笑顔に変化したことだけだ。
マヌケな声を出しつつも、クロちゃんの顔をうかがうようにしていたら、こちらの様子にはお構いなしに、簡潔なひとことを発した。
「勉強会!」
ようやく、合点が行った。
わたしの顔から理解の色を読み取ったのか、クロちゃんは輝かんばかりの笑顔で、続けて言った。
「雁也くんに勉強教えて貰おうよ!」
変に気難しい兄が大人しく応じるかどうかは、この際置いといて、とりあえずいまここにいる連中は、勉強の出来が悪い上に、性格のクセも強い。
兄がその出来の悪い生徒たちに振り回されて仏頂面になる、だなんて、想像しただけでも面白い画、見たくない訳がない。
にやけた顔をさせつつも乗り気になったわたしを見て、クロちゃんは気を良くしたらしい。
「というわけで、桐枝ちゃん!」
クロちゃんの言わんとしていることを、ひとつ大きく頷いて、任せて、と応えた。ついでに場所の提案もする。
「場所は図書棟でいいかな。あそこは静かだし」
「いいよー!」
クロちゃんの返事が、気持ちよく教室に響いた。
それからは早かった。
隣のクラスの時乃さん、狼くんにも話を持ちかけ――そしてもちろん、いけ好かないそこの赤髪も強引に道連れにし――、あれよ、あれよと言う間に、勉強会開催が本格的に決定した。
あとは講師本人の許可のみ、という事で、両双子は先に図書棟に行かせて、わたしは兄の姿を探すことになった。
といっても、そのお役目も教室を出た所で、すぐさま完了してしまったのだけれども。
兄は、廊下に居た。
顔は窓の外を仰ぎ見る方向に傾けられているけれど、角度がちょっと足らなくて表情はわからない。
ただ、こちらに向けられた、珍しくなんの警戒もしていない背中からは、アンニュイな気配が漂っている。
しかしまぁ、大計画の要をどうにかすることに頭がいっぱいなわたしは、んなことよりも探す手間が省けたことが嬉しかった訳で。
満面の笑みが溢れている事を自覚しつつ、まっすぐに兄の下へと向かった。
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