そこは色の無い世界だった。
 そしてそこは、動静それぞれがそうとわかるくらいに、きっぱりと分かたれた世界でもあった。
 地は白が敷き詰められた平原。夜空よりも深淵さを湛えた黒の天。どちらにもきわなど見受けられない、無窮で停滞した世界。
 しかしその狭間は、淡い灰色をした粒が、天へ地へと絶え間なく流動し、決してひとところに留まる事を知らない。
 そんな中に、まったく別の動きをするかたちがあった。
「相変わらず寒い世界だな、ここ」
 寒さも、ましてや暑さも存在しない環境でぽつりと呟くそれは、艶やかな黒髪を軽く切り揃え、ぬらりと光る黒瞳は真っ直ぐ前を見据え、歩は直線を描く、ひとりの男。
 音も無く、しかしぎゅ、ぎゅ、という擬音が聞こえそうなくらいに――さながら真っ白な雪原を歩むが如く――色の無い平原を踏みしめて、ひとり歩みを進めていく。
 やがて、ある一点で立ち止まった。果たしてその足元には、自前の金糸を“流れ”によって幽かに揺らしながらも静かに眠る、浅黒い肌の人物が居た。
 この色の無い世界に於ける、ただひとつ彩りを飾る存在。
「カリス」
 微かな呟き。しかし、煌めく金の珠を見出すには、充分であった。




「――珍しいな」
 すい、と呼ばれた側は目線を、難儀そうに腰を下ろした来訪者にやり、僅かに驚きを含んだ声音で応えを返す。
「いくら耐性があるとは言え、引き篭りのお前が“墓場”まで出向くとは」
「カリスが帰ってきてる時は大抵、残務処理でここに引き籠るから。こっちから動かないと、すぐにお話できないでしょ?」
「違いない。何の用だ、ブライア」
 むっくりと、これまた難儀そうに身を起こして面倒臭そうに言葉を返す金色こんじき――カリスに対して、服装も白と黒の和装で統一された、カリス以上に背景に馴染む男・ブライアは軽やか且つにこやかに言葉を続ける。
「ここんとこ、立て続けによそ様へちょっかい掛けてるって聞いたけど」
 ――もとい、にこやかに、直球で、核心に迫る。
「ちょっと漂っていたら往き着いただけだ」
「どーだか。それでなくとも厄介事を引き込むのに」
「否定は出来ないが、まだ何も起きてはいない」
「カリス、君ね……」
 お蔭さまで、カリスは劣勢に立っていた。すーっと視線を横に滑らせながらの言い訳じみた強弁を返す様子に、ブライアは呆れ交じりの目付きをくれてやりつつ、諭す様な調子で更に言い募る。
「これからどうしようもない事が起きたらどうするんだい、君は」
「一応、何かがあった時は察知出来るように、定置網を投げておいてあるが」
「これまたすごい言いようだ。保険という名のお節介?」
 野暮だね、と嫌みを込めて言えば、カリスはにたり、と笑みひとつ。
「違うな、野次馬だ」
 続けて、それはそれは、抜け抜け且つ晴れ晴れと宣ったものだった。
 対するブライアは、ひとつ、大き目にかぶりを振ってから、精一杯の呆れを込めて告げる事にした。
「余計に性質が悪い」
 直接に手を出している訳ではないのだがなぁ。と、まるで反省も無く、金色こんじきが嘯く。
 黒法師は咎めの言葉と呆れの言葉を、今度はまとめて溜息に替えて消化した。




 ちりり。
 大よそブライアの溜息と被るタイミングで感じた違和感に、つと面を上げた。ブライアが様子を伺うのも感じたが、まるきり無視をきめる。
「――」
 脳裏に、まだ僅かな引っ掛かりが残る。
 より感覚をこらして分析をしてみれば、発信源は定置網を張った、例のポイントからのようだ。
「あぁ、これは」
 ちりちり、とした怒りの感情が、張った網を揺らす。そう、これは“怒り”だ。とても明瞭な。
 しかし。
「……解せん」
 以前に遭遇した、あの剣呑で物静かな雰囲気を持ったしろがねの毛並の彼は、ここまでの激しさを表に出していただろうか。
 記憶が確かならば彼はただ“去れ”と述べていた筈だが。であるが故に――せっかくの興味を引いた空間の崩壊は、こちらとしても望むところではなかったので――大人しく身を引いたというのに、それが寧ろ不服であるかの様な、或いは駄々っ子の様なものを感じる。
「折角追い払ったというのに、結局は招くのか? 仕方がないな」
 思わず薄く笑みが、短く低い笑い声が、堪え切れず漏れる。
 いま居る“墓場”と呼ばれるこの場所は、比喩抜きでこの世界の“負”を気が滅入る程に掻き集めた場所で、ただ居るだけでも、“仕事”をしていても“負”に触発されて滅入りに滅入る様な場所だったが、今はそんな影響も軽く吹き飛ばす程に、それはそれは愉快な心地だった。




 一方、目の前に居るにも関わらず、いきなり置いてきぼりにされた格好のブライアはというと。
 カリスがうっすらと口角を上げる様をぼんやりと眺めながら、やれやれ、まだ当分は厄介事で留守になったりするんだろうな、と諦めに近い考えを抱いたものの、この時点では当分どころか、物事が重なりに重なって長期に渡ってしまった事など、勿論知る由もなかったのである。
「世はなべて事もなし、て言葉をさぁ、そろそろ自分の辞書に記入しない?」
“墓場”の最初の主のぼやきは、当代の主の耳に届く事なく、遙か天上へと昇って逝くばかりであった。




拝啓、色の無い世界から、色の無い世界へ











※本作は「波シリーズ」(と微妙に「空虚を照らすは」)での出来事を前提にしております。
あらあらかしこ。

あの時のあとがきであんな事を書いたものの、ついうっかり構想を思い付いて(うっすら考えてますよ、とTwitterに出した記憶もおぼろげにある)、それから丸一年以上、です(遠い目)
まず漫画のプロットでも作るかな!と思って書き始めた方が、まさかモノになるとは思うまい。
先程も述べました様に、構想だけはあったので、舞台となる場所についての記述をあんちょこに追加するなど、ちまちま外堀だけは埋めておりましたが。

という訳で、エルさん遭遇フラグをおっ立ててみました。
何かありましたら、こちらまで連絡お願いいたします。

2013/3/3 Cuore

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