なんてこともない初夏のある日






 少し前の涼やか――で、季節柄起こる各種障害を引き起こす傍迷惑――な空気が暑気と湿気を孕む空気に入れ替わり、見上げれば日は照り、少々の白みと澄み渡る青、地面には渋く咲く青と紫、赤紫の花と逃げ水が見え、つまりはそう、今この季節は初夏である。
 一年にいる双子三組の内、サの付く双子――他にはモノクロカラーと、クリスマスカラーがいる――のよく解らない方、物静かな方、根暗な方、幽霊の方、発する言葉でカキ氷が作れそうな方、エトセトラエトセトラ、色々と定評のある佐伯雁也は、外の変化にもそ知らぬ顔をして、本日も傍目には解らないくらい意気揚々と図書棟に居付いていた。

 棟の空気は外とは打って変わってひんやりとしていた。
 今年はエコに力を入れているらしく、節電の為に本を傷めない最低限の空調しか稼動していなかったが、元よりこの図書棟、採光を最低限にしている為、昼間でも明かりが少々必要なくらい薄暗い。
 例え空調が最低限であっても、外の熱気を遮断するには充分な程、気持ちのいい温度を保っていた。



 まぁそんな中、当の雁也はと言うと、その最低限の採光の範囲にあるテーブルで、本日のノルマを黙々&淡々とクリアさせていた。
 つまり、図書棟の本全読破・三ヵ年計画のノルマを、である。
 そんな訳で、雁也は自分の世界に入って本を読み込んでいた。棟の利用に不慣れな女子学生が踏み台を盛大に引き摺って耳障りな音を出そうが、男子学生たちが周りに憚られる様な“いかがわしい本”――無論、外部からの持ち込みである。その様な“健全”な書物は、この図書棟には置かれていない――を読んで歓声を上げようが、さっぱりそちらに注意も向けず、ページを繰るスピードも緩めず、流れる様に次々と本を変え、あっという間に最後の一冊読み終える。
 さすがに疲れたのか――嫌味な事にこの男、洋書を読破したのである――ふぅ、と息をつき、それから、何となしに元気な声が弾ける窓の外を見遣った。



 そこの窓はちょうど、演武場の上の辺りだった。柔道、弓道、剣道、合気道、総合格闘技などなど、武道を嗜む部活動の為の施設である。
 エンターテイメント性も含む総合格闘技はともかく、本来、その他武道は静謐さを持って由とする環境で行われ、外野がいかなる声を上げる事は難しい。
 ――のだが、ここは生徒がファンクラブを“作る側”と“作られる側”に分かれる王華高校である。他校とは少々事情が変わっていた。
 そして、大変変わったこの高校の剣道部にはバケモノが居るのである。
 王華史上、最も大規模なファンクラブが作られたと噂される様な存在が。
 外野の大半が今年三年になるそのバケモノ、中瀬里玖のファンだと看破した雁也は、あの人卒業したら、連中は誰かに乗り換えたりするんだろーか、と、詮無い事を考えていた。

 そうして不躾に眺めている内に、部活動が終わったのか、その中瀬里玖が演武場から出てきた。色合いにまとまりのない集団が、一気に出入口へと雪崩を打つ。
 演武場の前は数多の人によって封鎖され、タオルやら菓子やら多種多様な差し入れを全て受け取り切らないと最早脱出は不可能か、と思わせる様相だったが、中瀬里玖はそれら全てを断固拒否するかの様に見事な体捌きで凌ぎきり、無事に集団の外へと――その外でひとり、ぽつねんと不安そうな面持ちで立っていた女性の下へと辿り着いた。
 その女性の名も、雁也は知っていた。二年生の矢島雪奈。彼女もまた“作られる”側の人間であり、かの中瀬里玖とは親しい仲、とは公然の秘密である。
 雁也は同じクラスに在籍する従姉妹を通じて会った事があるが、無愛想な態度を取る雁也に若干戸惑いつつも、柔らかで優しげな雰囲気を崩さなかった。儚そうに見えて自分のペースは保つ辺りに、周りが喧しい中瀬里玖のソレで居られる理由を見た気がした事は、彼の記憶に新しい。

 少々制服が草臥れている――あの集団を潜り抜ければ誰でもそうなる――ものの、中瀬里玖が涼しい顔で矢島雪奈と接触した瞬間、ぐるり、集団の感情が嫉妬、憎悪、とまぁ、凡そ他人に曝け出すのは止しておいた方がいい感情へと反転した。様な気がした。
 矢島雪奈の表情も、心なしかドン引きしている様なソレになっている。が、中瀬里玖の方はキレイにシカトを決め込んだらしい。さっさと矢島雪奈の手を取り、歩くように促す。
 そのまま二人は校門へと歩いて行き、女子学生集団はストーキングをかまそうと足を踏み出した、その時、二人が歩き去った方向とは別の方向から、更に集団がやってきた。
 風紀委員の三年生、香月弥悠とその配下の風紀委員、それから委員とは毛色の違う男子学生の集団である。先程説明した、矢島雪奈のファンクラブ連中だろう。たぶん。
「くぉらー!前にも、他の人の迷惑になる行為はやめなさい、っつったでしょうがー!」
 新たな集団の出現にざわめく女子学生たちの隙を突く様に、香月弥悠の大音声が響き渡った。その声に驚き、女子学生は慌てて散り散りになる。再び響く、香月弥悠の大音声。
「あっ、ちょっと!説教してやるから、まとめてこっちの指示する場所に来なさい!いい加減、『新入生が入ったから統制が取れない』だなんて言い訳は通用しないんだからねっ!」



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長くなったので、いいところで切った、つもり、ではあったのだが。

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