日常とも言える一騒動が去り、演武場の前の人は、目に見えて少なくなった。やっと他の部員たちが帰れる環境になり、色々な意味でげんなりした顔の学生たちが、ぞろぞろと帰路につく。
ちらほらとその他の男子部員たちにも女子学生たちが寄っていくが、人数は中瀬里玖の比にもならない。ずっと少なく見える人数で、非常に和やかな雰囲気で差し入れをしたり、談笑をしていた。
そんな中にひとつ、心なしか年齢層が高校生じゃないというか、キャピキャピと言うよりも淑やか、という言葉が似合いそうな、お姉様方が集まる団体があった。他の集団よりも、幾分か落ち着いた言葉が交わされている。
「桐枝ちゃん、これをどうぞ。夏バテに注意するのよ」
「ありがとうございます、先輩」
「ほらほら桐枝ちゃん、新しいタオル。そっちのタオルは洗ったげるから」
「おばちゃんもありがとう!」
ファンクラブは生徒だけで成り立ってるんじゃないのか、と、桐枝が入部して早三ヶ月経った今でも疑問は燻るのだが、それはともかく、お姉様方と用務員のおば様の円の中心に居るのは、雁也の双子の妹で総合格闘技部期待の新星らしい、佐伯桐枝だった。
桐枝のどこにニーズがあるのかさっぱり解らないが、ああして構われている辺り、彼女らのツボに入っているのだろう。
桐枝は実に愛想よく彼女らからの贈り物を受け取っていた。遠慮は全くしていない。面倒な事になるのを、最初の時によくよく理解したからだ。
勢いづいた女性とはかくあるや。
要するに、素直に流れに身を任せれば、余計な手間は発生しないという事である。
中瀬里玖のケースは、それこそ例外だ。全て貰っていてはキリがないし、余計な荷物になる。
桐枝も最初こそ躊躇が見られたものの、今ではすっかり慣れてしまったらしく、傍目から見ていてもわかるくらい、差し入れに素直に大喜びしていた。
ところで、女子学生に女子学生中心のファンクラブが付く例は他にもある。他ならぬ雁也の従姉妹、二年生にいる佐伯セシリアのファンクラブが、それだ。
イギリス人である母の金の髪と緑の瞳を継いだ彼女は、よく学級委員として生徒会のサポートに走り回っているのだが、そのサポートが痒い所に届く様な小技が効いたもので、お陰でしょっちゅう学級委員の範疇でない作業にも借り出されている、とのこと。
また持って生まれた才か、何か事があった際の統率力に優れていた。例えばつい先頃の体育祭でも彼女は陣頭指揮を執り、適切な采配を振るっていた。
なんとも勇ましい彼女だが、それが影響してか、中規模ながら女子生徒が憧れを持って彼女の元に集まりだした。しかも結構可愛い子が多い。何処のハーレムだ。
伝聞では、気の多い男子生徒がその集団の子に手を出そうとして、助けを求められたセシリアに精神的にフルボッコにされたらしい。嘘か真かわからないが、なんともご愁傷様なことだ。
「まぁ、桐枝もセシリアも雄雄しいからな」
「妹と従姉妹に嫉妬か」
ぼそりと呟いたら、声が横から唐突に飛んできた。
そのまま独り言として消費される筈なのに応えが貰えた事を、雁也は怪訝に思い、顔をその方向に向けると、図書棟で顔馴染みになった――そして数少ない上級生の知り合い――三年生の如月カイが居た。
「居たんですか」
随分と先輩に対して遠慮のない言葉である。
対するカイは慣れたものの様で、特に動じる事もなく言葉を返す。
「つい先程からな。気配に気付かないとは珍しい」
どうも、外を傍観している時に来ていたらしい。不覚を取った事に内心舌打ちしつつ、平静を装って適当に会話を続ける。
「これでも毎回、如月先輩の気配に気付くのに苦労しているのですが」
「お前ほど影が薄いつもりは無いのだが」
「えぇ、僕のは意図して影を薄くしていますから」
「尚更タチが悪い」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
慇懃無礼な言葉によって無愛想なカイの言葉に返し、再び桐枝の様子を伺おうと窓の外を見――ちょうど見上げた桐枝と、目が合った。
「あー、兄さん!ちょっと何そこで涼んでんのよ!」
周囲の当惑もよそに喚く桐枝から、目に痛い空の青さについ視線を逃避をしていると、再び桐枝が喚き始めた。
「シカトすんなっ!今すぐそっち行くから、首を洗って待ってなさいっ!」
物騒な妹の言に溜息ひとつ。恐らく、そう時間が掛からない内に棟まで来るだろう。
幸い、読書のみを目的としている為、鞄から何も出していない。
一応財布などの持ち物の所在が、最後に鞄を開いた時と寸分変わりない事を確認。
持ち帰る本もないので、さくさくと本を元の棚に戻す。全てその階のものだ。作業はさほど時間が掛からなかった。
「それでは、お先に」
「ああ」
鞄を肩に掛けながら、実に淡白にカイへと別れを告げ、踵を返そうとした時、あぁそうだ、とカイが何かを思い出した様に言葉を投げかけた。
「エルがお前に会いたいんだそうだが」
「エル……あぁ、如月先輩が同棲しているという」
「語弊のある言い方はよせ」
「なるべく善処します」
スルーか、形ばかりの謝罪か。渋面のカイに雁也はどちらとも取れる返答をし、会話を打ち切る様に軽い会釈をした。そろそろ棟を出なければ。
この王華高校において、“作る側”、“作られる側”のどちらでもない少数派に属する(と思っている)雁也は、またひとつ溜息を落とすと、今度こそ桐枝と落ち合うべく棟の出入口へと足を向けた。
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