今日は安定しているから、と、少し早めにお茶の準備をしたら、ふらり、と兄が姿を現した――珍しい。
何が珍しいって、他所に遊びに行ったのに早めに帰って来た事と、もうひとつ。時化の海の様な顔をしているからだ。
何かしら。常とは違う落ち込んだ雰囲気を少しでも晴らしたくて、兄に声をかける。
「少し早いけれど、お茶にするつもりなの。一緒にどう?」
「……ご相伴に預かろう」
兄は、無理に笑おうとして失敗した様な顔で、返答をした。
「どうしたの」
いつも一緒にお茶を飲むホワイティスやサフィが来る前に、切り込む。恐らく、余人には聞かれたくないだろうから。
ふるり。俯く瞼を震わせてから、ぽつり、ぽつり、俯きがちに兄が語る話は、耳を疑うものだった。
曰く、
「僕の小さな頃とそっくりだけど自然に感情を持ってる子供が居て、少し視線を巡らせると仲良く父、母、幼かったがキリスとそっくりな人物達が、笑顔を絶やさずに買い物をしていた」
という、私としても俄かには信じられない夢物語。
心底驚いてしまった。というか正直、兄の精神状態を疑う。
「何ソレ。蜃気楼じゃないの、それもタチの悪い?」
それに兄は、否、と首を振り。
「確かな感触があった。あれは幻じゃない、現実だ」
「そう」
兄の願望が見せた幻かと思えば、それは違うと言う。きっと、言うからには本当なのだろう。兄はそういう確認を怠らない。
それでも、僅かに兄の、兄自身の感覚に対する疑念が見え隠れするけれど、私は兄の感覚を信頼している。これ以上問う必要は感じなかった。
だから、気が逸れる事を期待して、違う話題を振る。
「ねぇ、そこってどんな世界?」
訊くとようやく面を上げ、しかし視線は遠くを見る様にしていた。
あぁ、しまった。
「平和な、世界だよ。武器を取って戦う必要のない、平和な」
ゆらゆら。遠くをみつめる兄の、瞳に宿る水面が揺れている。そこに写る、私の肖像もゆらめいている。
ざわざわ。語る声が、荒海の潮騒の様だ。聴くと段々と不安になってくる、音の集合体。
「そっか」
これ以上、兄の震えていく声を聴きたくなくて、わざと遮った。質問を間違えた自分に、内心舌打ちをしながら。
それから、声と同じ様に微かに震える握り拳に、そっと手を添えて、言う。
「よかったね」
兄は、幽かな声で、ああ、とだけ漏らした。
深海に潜む
――きっと、私達に出来なかった事を、してくれるだろうから
|