ここはとある世界の精霊界。
精霊王たるオリジンは、その宮の見事な中庭で非常に思い悩んでいた。
威厳あるご尊顔の眉間には修復しがたいヒビがあり、長きに渡りある一点を見つめ続けるその様は、周囲のものに微妙な恐怖心を抱かせた。
ちなみに精霊王が睨むように見ている一点は、先程まで居た“客人”の位置であり、ついでに精霊王が思い悩んでいるのは、その“客人”が突きつけた“要求”からだった。
ところで、恐怖心の前に“微妙”と付くには理由がある。
周囲のものは、人払いされていたお陰で直接は聞かなかったが、人界だろーと精霊界だろーとなんだろーと、噂というものは無数の口を介して光速で広まるものである。
それが一体どういう事か、というと、巌のように佇む精霊王を見て思う事はみな一緒である、という事を意味する。
即ち、『この親馬鹿め』。
このこころ、おやしらず
時は遡る事、数十分前。
アポなしでふらりと精霊界にやってきた金色の存在を、精霊王御自らがその出現地点まで出迎えた、という一大事から話は始まる。
基本的に“王様”と呼ばれる存在は“腰が重い方が安心感が得られる”訳で、それは精霊界を支配する精霊王においても適用される事なのだが、その玉座で踏ん反り返っているべき精霊王がすっとんでくる様な事態は『闇のものが侵食してくる』一大事を除けば、ただひとりの愛娘とその伴侶と認められた――認めざるをえなかった――男が関わった時だけである。
つまり今回の事態は例外中の例外なのだが、“客人”に対する歓迎の出迎えは非常に刺々しい空気の中で行われた。
事実、その警戒は正しい。敵意がない、そして“異世界の”という冠言葉が付くとは言え、“客人”は“闇”そのもの――城まで迎える事という意味で、正しく例外なのだ。
精霊王の宮にある、四季折々の花が咲き乱れる見事な中庭。そこにふたつの存在が、見事な調和で咲き誇る花々でも中和できないような、刺々しい雰囲気で散策していた。
「正気か」
重々しく且つ嫌そうに口火を切った精霊王の横に並び、同じリズムで歩を刻んでいた金の色彩の闇は、返事をよこす代わりに目を向けた。
対する精霊王は目もくれず、次の言葉を放つ。
「『ぬしの娘と文通をしてみたい』などと、酔狂を」
それを聞いた金の闇は呆れを視線に乗せ、口を開いた。
「それは我ではなく、ぬしだろうに」
言うと金の闇はわざとらしく空白をつくり、溜息をひとつ落とした。
「用件を訊きたい、と仰せられたから述べたまでの事よ。そうだろう?」
挑発するかの様な仕草と言葉を受けて、精霊王はきりきりと眉間の溝を深めた。
対する金の闇はその様を面白そうに眺め、続きを待つ。
眉間の渓谷がはっきりと濃い影を落とす頃になってやっと、先程よりも更に重々しく、更に嫌そうに精霊王は口を開いた。
「それはそうだが――貴公の意図が読めん」
「読む必要があるのか?」
「……気には、なる」
自身の混ぜ返しに、精霊王が渋面ついでに苦虫も噛み潰した様な横顔を作るのを見た金の闇は、その口角を吊り上げた。
「至極単純な話よ。――あの時の間抜けな男が、酷く気にかけていた人間だからだ」
ここでようやく、二柱の視線がかち合った。
一方は眦をきつく上げて睨みつけ、もう一方は余裕をもって片方を見上げる。
だが鋭く睨みつけていた筈の精霊王は、何かに気付いたかの様に、ほんの僅か目を瞠った。
「――全くもって、貴公は趣味が悪い」
「知っている」
呻く様にようやく絞り出した声に、金の闇の応えは軽い。
視線を逸らしつつも悪戯小僧よりも性悪な笑みを浮かべ、ふわり、金の闇はマントをなびかせ、それから今度は精霊王と正面から向き合う位置に立ち、見据える。
「そも、あのふたりは、少々危ういが強固な絆で繋がっている。我が間に入る余地なぞ、そうなかろう」
当て馬程度にしかならんさ。そう言外に仄かな自嘲のニュアンスを滲ませて続ける金の闇に対して、精霊王の反応は冷ややかなものだった。
「当然だ。あの二人は互いに唯一無二。どこぞの馬の骨になんぞやらん」
「だからといって、互いへの依存の度合いが少々高いのもどうかと思うのだが」
「生憎、我が心配しているのはそちらではない」
ここで初めて、金の闇の表情がはっきりと別のベクトルへと動いた。それは顔に疑問符を浮かべ、続きを待つ。
「貴公から妙な影響を受けないか、そこが心配なのだ。――どうした、図星か」
そして精霊王は、この対談で初めて、はっきりと言葉尻に愉悦を乗せた。
それを受け、心外そうな風に、しかし若干のふてくされを含みつつ、金の闇は返答。
「……いや。それで?」
「関わり合いにならぬ様、気にかけているようだが、貴公はなかなかどうして天邪鬼のようだ。口を出さずにはおるまい」
精霊王が完全に調子を掴み、そう畳み掛けると、金の闇は更に何ともいえない表情になった。
「そう、だな、何かしらの口出しはするやもしれんが――だからといって、何がどうなるとは」
戸惑いを持って返した金の闇の、その言葉を受けて精霊王は熟慮した後。
「……やらんぞ?」
「誰も手を出さん、この親馬鹿が」
金の闇は精霊王の世迷い事を、間髪入れずに切り捨てた。
しばしの沈黙が続いた後の事。
唐突に金の闇が、何となしに花々に向けていた視線を精霊王に向け、宣った。
「そろそろお暇させて貰おう」
不意を突かれた格好の精霊王は、当然ながら金の闇に食ってかかる。
「貴公、言うだけ言って――」
だが、金の闇の方が思い切りが早かった。
「色好い返事を待っている」
そういって、口の端を上げた“陰そのもの”はマントを翻して、するり、とどこかへ消え去り、その場には天を仰ぐ“起源を司る存在”のみが佇んでいた。
優美な庭の雰囲気をものの見事にブチ壊した会談は、そうして終わった。
精霊王が延々と悩んでいた“要求”もとい“おねだり”というのは、とどのつまり“文通をしてみたい”という、どこか微笑ましいものであり、“客人”の僅かに残った“子供らしさ”を表している様な気がしなくもないようなものだった。
それでも悩むのはどうしてか。
我が子でもねぇ野郎の頼みなんざくそくらえだ!という心理もない訳ではないだろうが、それよりは、全く面倒な事に、娘を持つ男親の、びっみょーで繊細な心理が関係する。
ここで例の“客人”の描写に入ろうと思う。
“客人”の本性は金と黒のコントラストが深い見た目十五程の小僧だが、普段は十五〜二十程の人の子の姿でいる。
“客人”の立場から考えると、どの年齢であれ人の子の姿を好んでとる事はとんでもなく奇矯な事なのだが、それはまた別の話。
ともかく“客人”が好んでとる姿は後者であるが、どちらにせよ問題は『愛娘に――見た目であれ――歳が近い』こと、その一点。
つまり精霊王は、若い愛娘にあまり、見た目の年齢が近い小僧を近づけたくなかったのである。愛娘にはとっくに彼氏が居るにも関わらず。
そうした下らない――本人にとっては大問題な――事に悶々と悩んでいる最中に、ふと“あの時の”金に煌めく瞳を思い起こした。
“間抜けな男”と述べた時の、あの瞳の光の柔らかさを。
まるで素直じゃない。
金の闇も未だ子供なのだと理解し、王はひとり、苦笑した。
その後、腹を括った、かの精霊王の顔があまりにも真剣に過ぎて、愛娘に怖がられてしまったのは全くの余談である。
|